革新と継承の融合を目指して玉葱発祥の地の誇りと先代の想いを未来に紡ぐ

北札幌地区組合員

横山 嗣元さん

明治4年に札幌村(現在の東区)で試験栽培されてから今日まで、脈々と受け継がれてきた玉葱栽培。玉葱発祥の地で先代の想いを大切にし、変化を楽しみながら奮闘する5代目に話を聞いた。

きっかけは
農作業をする両親の姿

5月上旬のよく晴れた日、横山農園を訪れた。定植を待ち受ける圃場の土、手稲山の新緑、この時期の札幌では珍しい桜花爛漫な景色が生み出すコントラストが美しい。

開拓使が米国から種子を持ち込み、多くの農家がここ東区で玉葱栽培を始めたことが玉葱発祥の地と呼ばれる所以であり、横山家もそのうちの一軒。2町3反の畑で作付けするのは、「さつおう」「札幌黄」「北もみじ」「オホーツク」。「さつおう」は幻の玉葱と呼ばれる「札幌黄」の品種改良により生まれた札幌黄二世と言える品種で、札幌黄と同様に甘みと辛みのバランスが非常に良く、耐病性や貯蔵性も札幌黄より向上している。横山家では、「さつおう」の食味の良さと希少性にこだわり、先代から作り続けている。

「小学生のときに、自分が手伝うことで忙しく働く両親が少しでも楽になってくれたらと思ったのが、農業を志したきっかけです」

定植作業後に映し出された夕景

農業継承のために、選んだのは変化

嗣元さんは、農業と会社員との兼業である。変わる町並みや環境の中、専業は難しいと判断。しかし脈々と受け継がれてきた玉葱栽培と、幼いころより見てきた両親の姿を思うと、継承したいという気持ちは揺るがなかった。

従来のやり方は踏襲しつつ、より効率的な現代農業を模索した。出張で道内各地に赴く道中にあっても、玉葱産地を通る時は作業の様子や畑の状況をつぶさに観察した。面積の違いはあれども、使用する機械や作業時期の違いに着目し、可能な範囲で取り入れた。そのような変化を当初、先代が賛成せず衝突することもあったが、諦めずに実践し、より良い方法を模索しようとする嗣元さんの姿を見て、次第に任せてくれるようになった。だからその分、期待に応えるために人一倍畑に出た。

「年々環境が変化していく中で、機械化を進めたり、JA職員の助言や、家族と一緒に実践してきた経験から生まれる直感…というか、肌で感じてきたことを大事にしています。それが上手くいくと楽しいですし」

以前は秋に行なっていた作業を春に変更し、天候や土地に合わせた耕作のタイミングを計り、自ら培ったノウハウを落とし込んだ。試行錯誤しながら、近年の環境変化の中でどのように農業を継承していくかを熟考し、最終的には変化を選んで現在に至る。

2月末に播種してから定植まで大切に育ててきた苗に横山農園の想いが詰まっている

目に見えない努力と工夫があってこそ

有機質や品質証明付きの肥料を使用し、生育に直結する土台の畑を育てることを大事にしている。植え付け前の畑起こしも、地温を上げるため、また万が一の災害による被害を最小限に抑えるために、2台のトラクターを駆使して四工程行なう徹底ぶりだ。

暗渠敷設機で排水を整備し、心土破砕機で水が通る道をつける。そして、天地返しで上下層の土を反転させて肥料を撒き、水分量の良いときに畑をならす。 「粘土地の部分は水はけが悪く、昔はよく水害に見舞われましたが、今のやり方に変えてからは、大雨でも水に浸かることはほぼ無くなりました」

そこに手間をかけるのは、先代の苦い経験があるから。近年の異常気象に対応するため、家族で施してきた排水対策は並大抵のものではない。得てして収量だけに目が向きがちだが、目に見えない努力と工夫あってこその結果だ。

この日は、今年初めての定植が行なわれた。何年経っても、この一本目の定植は緊張する。緑のラインを引いたかのように、真っ直ぐに延びる一直線の苗。

「この苗を順調に育てて、秋には良質な玉葱を消費者に届けたい。来年も、再来年も」 

「この苗を順調に育てて、秋には良質な玉葱を消費者に届けたい。来年も、再来年も」 

優しい口調でありながらも、将来を真っ直ぐに見据えた力強い言葉が、植えられたばかりの苗と重なって見えた。

農業を守りながら時代環境に対応して社会の一員として貢献できれば」と嗣元さん。右から妻の恵子さん、母の静江さん、妹の琴美さん
念入りに土起こしをする嗣元さん
嗣元さんが生まれた年に購入されたマッセイ・ファーガソンのトラクターは今でも現役