札幌市の北西部に位置する手稲山口地区。砂地が多いこの地区は、容易に開墾が進んだものの地力に乏しく、農業不毛の地といわれていました。
開墾当時、作物の収量は極端に少なく、その上、春先の日本海から吹き寄せる冷風のため保有面積の半分ほどが耕作できずに放置されるという有様で、開拓半ばでこの地を離れていく人も少なくなかったそうです。
このような環境の中、人々は砂地に適した作物を模索しました。そこで始まったのがスイカの栽培です。野菜中心の栽培からの一大転換でした。
一時スイカの作付面積は200ヘクタールを超え、「山口スイカ」(現在のサッポロスイカ)として全国に知られるようになりました。しかし、この地の主力作物として順調に進むと思われたスイカ栽培もやがて紆余曲折を繰り返します。スイカは天候によってその味と質が大きく左右されるため、幾度となく襲う冷害と大雨に大きな打撃を受けたのです。加えて、社会情勢の変化から販売面においても苦慮するようになり、スイカを主体とする経営に陰りが見えてきました。
そこで、今度はスイカに代わる主力作物を模索することになりました。
「スイカ栽培で培った技術を活かし、なおかつ冷害に強い作物はないだろうか…」
種苗会社に相談したところ、勧められたのが“みやこかぼちゃ”の種でした。
新たな試みとなるカボチャ栽培には数名の生産者が名乗りを上げ、栽培を始めました。手塩にかけて育てられた種は大きな実を結び、やがて市場に。
すると、この名もないかぼちゃの類をみないほくほく感と甘さは、人々を大いに驚かせたのです。こうして、昭和56年7月、近くの海水浴場“大浜”から名前を拝借し、「大浜みやこ」が誕生しました。
大浜みやこはなぜおいしいのか。そのヒミツは粉質と糖度にあります。水はけがよく、一日の寒暖の差が大きいという砂地の特性が、粉質と糖度を優れたものにしたのです。
「農業不毛の地」から見事な脱却――。大浜みやこのほくほく感と甘みのある美味しさは、まさに「砂地のめぐみ」といえるでしょう。
大浜みやこの美味しさは、市場関係者の間でも大きな話題となりました。その食味は全国的にも高い評価を受け、出荷2年目から早くも札幌ブランドのカボチャとして市場に定着しました。当初、数名の有志で始めた栽培も、その後3~4年の間に20名余りまで増え、安定供給のもと販売価格は一般のカボチャの3倍にも及びました。更に、昭和57年からは“共選”による市場への共同出荷が始まり、検査員が厳格な基準により検査をして合格したものだけを市場に送り出す制度を確立。質のよいカボチャのみが「大浜みやこ」として出荷されるようになりました。
以降、名声を浴びつつけている大浜みやこですが、近年生産者は深刻な問題を抱えています。それは、後継者問題です。現在は、果実部会の会長である松森さんをはじめ、9戸の生産者で、約690アールの作付けを行っていますが、その面積は下降線をたどっています。ここまで育った「砂地の恵み」をいかに継承していくかが、手稲山口地区の課題となっています。
生産者が苦労して守り続け、誰もがその美味しさを認める「大浜みやこ」を、未来へとつなげていきたい――。それが生産者とJAさっぽろの願いです。
今年は、5月のゴールデンウィーク頃には気温が低温傾向で晴天になる日も半分ほどしかなく、6月には2度の暴風に見舞われ、生育に大変な苦労を伴いました。
しかし、夏が近づくにつれ高温になる日が続き、それまでの生育の遅れを挽回することができました。
今年も、でん粉質に優れ、糖度の高い「大浜みやこ」ができました!