伝統復活に携わるすべての方への感謝と共に札幌伝統野菜「札幌大球」を未来へ繋ぐ

豊平地区組合員

吉田照一さん

伝統を育んできた父と、伝統の継承を目指す息子。
10月末の良く晴れた日、札幌伝統野菜復活に取り組む吉田照一さんの圃場を訪れた。
そこには広い青空の下、黙々と作業を行う二人。
言葉を交わさずともお互いの動きを把握して協働している素敵な空間だった。

明治期からの食文化を支えてきた伝統野菜

この世には未来へ繋ぎたくても、受け継ぐ人が無く静かに消えていくモノやコトがたくさんある。一度途切れると、同じ価値を取り戻すのは困難だと知っているから、人は未来へ残すべき技術や精神を「伝統」と呼び、大切に守っているのだろう。

明治時代、開拓使が置かれた札幌は、北の農業技術を構築する拠点となり、様々な作物・品種が栽培されてきた。故に「サッポロ」と冠のつく品種名の作物が多く誕生し、それらは先人たちの手により札幌の気候や風土に合わせて改良されてきた。しかし、時代の流れとともに、形が揃いやすく病気に強いF1品種(一代交配種)が主流となり、姿を消した品種も多い。そんな中、今日まで脈々と守り伝えられてきた野菜、それが「札幌伝統野菜」だ。

JAさっぽろでは、「地の宝」ともいえるこの5品目の野菜に注目し、平成26年より栽培・普及に取り組んでいる。そして札幌伝統野菜復活活動に取り組む人こそが吉田照一さんだ。

半年間かけて育った札幌大球。

経験を積んでも難しい在来種の生産

吉田さんは清田区真栄でほうれん草(ポーラスター)を中心に多品目の野菜を作る傍ら、札幌大球、札幌白ゴボウ、サッポロミドリの3品目の札幌伝統野菜を作っている。「農業は1+1=2にならない。常に自然相手だから毎年異なる環境の中での作業になる。その時々の環境下で在来種の野菜を作り続けるのは容易ではないよ。昨年の猛暑も昔では想像できなかった。それでも札幌白ゴボウは、品質に影響がなく近年まれにみる出来の良さだね。」微笑みながら話 してくれた言葉から、伝統野菜復活の旗振り役を担ってきた誇りと自負、そして何より、在来種の命を繋げる吉田さんの農業の神髄を目の当たりにした。

吉田さんご家族での収穫作業。
JA職員も協力しながら札幌大球の生産復活を目指す。

作るのは大変だけど本当に美味しい

札幌大球には大まかに2系統の種類があり、清田区で作られている札幌大球は現在の西区近辺で作られていた札幌大球がルーツで、大きいものだと直径40㎝~50㎝、重さ20㎏近くにまで育つこともある。外側が傷んでも、食べられる部分が多く貯蔵性があり、肉厚でしっかりとした食感があることから、漬け物などの加工に適したキャベツを目指して選抜改良を重ね、昭和初期には、主に漬物用として広く栽培された。時は流れ、漬け物需要の減少や、農作業の負担が大きいことから生産量は徐々に減少し、現在、札幌市内では吉田さん含め3軒となった。

それでも、特大キャベツとして現在でもその名を広く轟かせる。インパクトのある見た目や食感のみならず、甘くて風味が良い「味」そのものにも関心が高まり、漬物加工会社やお好み焼き店へ多くを出荷している。
「昨年は猛暑の影響で大変な年だった。在来種である札幌伝統野菜は耐病性があまり無いんだ。そして何より収穫が大変。札幌大球はJA職員の力を借りないと収穫もままならない。でも半年間かけてじっくり生産するから、美味しいんだよね」

毎年10月末に行われる札幌大球収穫作業は晩秋の風物詩。
JA職員も参加し、共に伝統を絶やさぬよう努力を続けている。
「札幌大球をはじめとした札幌伝統野菜を繋いできたことは決して一人の力ではできなかったよ。大事な種を継承してくれた生産者。そして、札幌伝統野菜復活に一緒に旗振りをしてくれた仲間に心から感謝しているよ。携わってくれたみんなの想いがあるからこそ作り続けていけるんだと思うよ」

農業を60年以上続け、経験を武器に札幌大球と向き合う吉田さんが最後に話してくれた言葉はスーッと心に入ってきた。

この「地の宝」である札幌大球が大切に受け継がれ、多くの方の想いと共に「サッポロ」の野菜が守り残されていくことを心から願う。

朝露が光る札幌大球の葉。
大きく育った札幌大球を一つ一つ特大包丁で収穫。